2013/03/25

自分アジェンダ®事例としての藤原和博氏


10年ほど前、東京都初の民間人校長として杉並区の中学校校長を務められた藤原和博氏が、まだリクルート社フェローとしてご活躍の頃、企業家としての事例分析をさせていただきました。

当時、藤原氏より杉並はいい街だとお聞きしていましたが、そのときは自分がまさかその街と深くご縁ができるとは思ってもいませんでした。とても不思議です。

企業家事例分析では、「資源獲得に成功するためには、強い使命感や情熱(個人的価値)、豊かなネットワークや信頼関係(社会的価値)、実績や実現性(事業的価値)などのような企業家価値を示すことが重要」ということを示そうと思っていました。

今、改めて見直しますと、確かにネットワーク力や事業創造力もすごいのですが、もっとも印象的な点は、藤原氏ご自身の「ゆずれない3つの価値」という個人的価値です。この人生の軸ともいえる価値観が、さらなるネットワーク拡大や新事業創造のエネルギーになっているのではないかと感じます。

そう考えると、まさに「自分アジェンダ®」の事例です。

企業家ですから、事例では「事業アジェンダ」ですが、現在までの藤原氏のご活躍を拝見しますと、この「自分アジェンダ」を精力的に実践されているのではないかと感じます。



<以下、事例より引用>

 リクルート社とフェロー契約を結んで、1994年から1996年の3年間に3つの新規事業を立ち上げた企業家がいる。リクルート社におけるイノベーション・システムのひとつとして自ら成立させたフェロー制度第一号の藤原は、組織内部でも外部でもない「表皮」というフェローの立場を活かし、スピーディかつ確実に事業創造を行ってきた。

 フェロー制度とは、リクルート社に貢献する異能との契約であり、異能を認められた社員は退社後、フェローとしてリクルート社と契約を結ぶことができる。藤原は、同社社員時代、当時の江副社長と同じ東京大学卒業の社員として、18年間スター社員として輝かしい実績を残してきた。その他のフェローとして、アトランタオリンピック銀メダリストの有森祐子や、社内報、ゲームソフト、ワークデザインの専門家など4名が契約している(1999年現在)。フェローの報酬は、年一度の常務会査定によって、固定給+成果報酬という形で決定される。藤原の場合、成果に応じてゼロから4000万円までの幅があるという。藤原のフェローとしての役割は、新規事業開発であり、リクルート社の役割は、新規事業創造における必要資源の提供である。

・・・中略・・・

 藤原は、リクルート社時代の18年間、カリスマ的創業者と同じ東京大学卒のトップ営業マンとして、マスコミにも登場するほどのスター社員として活躍しており、フェローとして契約するまでの数年間は新規事業立ち上げ屋として実績をあげていた。しかし、このような激務を精力的にこなすうちに、過度のストレスが原因といわれるメニエル病という心身症にかかってしまった。藤原は、自ら「日本の教育が作りだした優秀なマシン」と称し、これを機にそれまでの人生観が変わってしまった。1990年半ばには、新規事業アイディアを模索するという目的でイギリス、フランスでの2年間のロンドンビジネススクールなどへ企業派遣留学の機会を得た。ヨーロッパの生活を通して、彼はアール・ド・ヴィーブル(心豊かに暮らすための生活の知恵)に心酔し、その後、人生における「ゆずれない3つの価値」として、個人間ネットワーク、介護住宅、教育を掲げるようになった。それらの価値を具現化させた新規事業は次の通りである。

  • 個人と個人をつなぐネットワーク---「じゃマール」事業
  • 介護医療コンサルティング---「ジェイケア」事業
  • 教育ソフト開発事業---「シーホースベイ」事業

 これらのプロジェクトは、藤原氏個人の「ゆずれない3つの価値」のひとつひとつに基づいている。「ゆずれない3つの価値」とは、①精神的な自由度、②テーマ主義で仕事をすること(医療福祉を含む住宅問題、新しい教育ソフト、柔らかくて多様な個人と個人のネットワークを促進する社会システム作りの3つに40代の前半は絞っている)、③シゴトする仲間を選べること、である。これらのうち「②テーマ主義で仕事をすること」を最も重視して、現在の事業テーマに絞っている[1]。藤原氏は「テーマ主義」を自らのコンセプトとし、精力的に出版や雑誌寄稿を行っている。このコンセプトは、「自分のテーマを掲げよう。そのテーマの上にしっかりとたたずんで、そこから歩き始めよう。そうすればあなたは、他人に“テーマされちゃう人”でなく、“テーマする人”になる。そこに、自分自身で実感できる、リアルな“存在感”が生まれる」という主張に裏打ちされている[2]

・・・中略・・・

 藤原の事業創造活動は、3年間で、①「じゃマール」事業(個人間ネットワーク事業)、②「ジェイケア」事業(介護医療コンサルティング事業)、③「シーホースベイ」事業(教育ソフト開発プロジェクト)という3つの新規事業を立ち上げるというスピーディで達成率の高いものであった。藤原の3つのプロジェクトの共通の特徴は、①早い(1年に1新規事業)、②事業創造率が高い(3事業についていえば100%)ということが指摘できる。



[1] 藤原和博「エネルギーを奪う仕事、もらえる仕事」、p.69、新潮社1998
[2] 前掲書、p.78