2011/12/15

リーダーシップにおけるクレディビリティ


資源をほとんど持たずに、「動きを創りだす」ためには、「信頼」と「クレディビリティ」が必要だと考えます。

期待できる、実現するだろうと感じてもらうこと→「信頼」
信頼を目に見える状態で示すこと→「クレディビリティ」


「社会的資産としての企業家 「企業家価値」創造におけるクレディビリティ機能」 」(2001)より抜粋 Azusa Ami, Ph.D. 

「企業家は、新しい価値を創造するための資源をもっていない。まったく新しい資源を獲得するか、既存の資源を新しく組み合わせるために別の資源を調達するか、既存の資源を加工するための方法を工夫するか、など新しい資源やアイディアなど創り出さなければならない。

なにもない段階で資源を獲得するには、資源提供者の期待に応えるという信頼を得ることが重要になる。信頼を得るためには、企業家が、資源提供者が期待するなにかを実現するだろうというクレディビリティを示す必要がある。

これまでの組織研究において、クレディビリティの研究はほとんど行われてこなかった。

クレディビリティとは、「信用できること、確実性」などと訳される。Bhide(2000)は、企業家を不確実性、投資、リターンの3つの次元で5つの類型に分類したが、どの類型の企業家にとってもクレディビリティが重要であることを示唆した。

一般的なクレディビリティという用語にも、同様の意味があると考えることができる。たとえばクレディビリティという用語は、心理、経済、政治などさまざまな学問分野で見られる。たとえば、幼児虐待における幼児の証言のクレディビリティというような心理学的なとらえ方[1]、時間の流れによって最適解が変わってしまうという経済学的なクレディビリティのとらえ方[2]、国際関係において政府の情報公開がどれだけ信憑性があるかというクレディビリティの問題に示されるような政治学的なとらえ方[3]、などである。

しかし、いずれの場合においても、クレディビリティは「実現確実性」、あるいは「起こり易さ」を意味していると考えられる。

たとえば、幼児虐待の例の場合は、幼児の証言が本当に起こっていたことなのかどうか、実現していたことなのかどうかという問題である。時間の流れによって最適解が変化するという場合は、ある時間の最適解が次の時間にも実現するかどうかという問題であり、また政府の情報公開の場合は、政府が示す言動が実際に起こりうるのかどうかという問題である。

クレディビリティを組織研究のなかで、言及したのはArgyris(1976)である。

Argyrisは、経営者が、モデルⅠからモデルⅡの行動パターンに移行する際、部下が本当に経営者が「実際に使っている理論(theory-in-use)」を変えると信じるかどうか、という「クレディビリティ」の問題があると指摘したのである。

・・・・中略・・・・

企業家が事業創造を行う場合も、無から事業を創造するという創造行為である。ここには、まだ組織文化や慣性もなく、変化に対する抵抗力は弱い。企業家がネットワークを構築するためには、変革を行う経営者以上にクレディビリティが必要と考えられる。

心理的契約やクレディビリティの概念は、将来についての約束が基盤になっている。この約束に対する期待を、相手がどの程度もつかによって、心理的契約やクレディビリティは成立する。約束する者が相手から期待されなければ、相手は動かない。

この考え方は、企業家が資源提供者に対して、将来のリターンを約束することと共通している。企業家が資源提供者から期待されなければ、資源提供者は資源提供を行わない。企業家と資源提供者の間には、企業家の約束と資源提供者の期待との間に適合がなければならないということになる。

[1] Martinius (1999) p. 121-124.
[2] Levine (1999) p.77-95.
[3] Schultz (1999) p.233.
[4] Argyris(1976)は、組織の管理者やリーダーは、2つの理論によって行動していることを発見した。これらは、「信奉している理論」と「実際に使っている理論」である。「信奉している理論」とは、自分の行動の基本にあって方向づけていると思っている目標、仮説、あるいは価値に基づくもので価値観のようなものである。「実際に使っている理論」は、実際に自分の行動を支配している暗黙の前提で、実践を通じて蓄積された者である。「信奉している理論」は、経営形態がどうであれ、トップから一般従業員にいたるまで知られてはいるものの、実際に使っている理論がリーダーの行動により強く影響していることを発見した。