2012/01/03

資本の概念の変化

「資本の概念の変化」について書いたのは、もう10年前です。
そのときは、インターネットも普及し、確かに「資本の概念の変化」を感じはじめていました。しかし、現代のソーシャル活動を目の当たりにすると、本当に「資本の概念の変化」を実感します。


「社会的資産としての企業家 「企業家価値」創造におけるクレディビリティ機能」 」(2001)より図表を抜粋


商品・サービスは、「不鮮明なオファー」になる・・・


ソーシャル上でのオファーは、リアルタイム(スピード)、常につながっている(連続性)、という特徴に加えて、販売者と購入者という固定的な関係ではなく、お互いに瞬時にどちらもどちらになりうる取引者になるといわれています。

無形性については、図表2で従来の取引とこれからの取引(不鮮明な取引)が比較され、図表3で金融(財務的)市場と、商品やサービスを扱う現実の市場が比較されています。




「そのため、不鮮明経済のもとでは、事業を行うマネジメント側のマインドセットも次表のような変化が求められる。顧客が求めるものは、一時的な商品やサービスではなく、学習可能なオファーであり、したがって、重要なことはアップグレードの可能性となる。

そのためにマネジメントは、それを可能にするプラットフォームの構築やオファーのデザインをどのようにするかに注意を払い、しかも一時的な顧客ではなくプラットフォームを享受するような顧客を創り出すためのコミュニティの構築がマーケティング上の目標となるという。」



「このような新しい概念では、なにを所有しているかということよりも、どのような関係をもっているかということの方が、より大きな利益や効用を生み出すことができるようになったと考えられている。

資本概念の変化により、官僚制、あるいはその修正された形態をもつ組織も、その重厚長大さが時代のスピードについていけず、有効性が低下してきてしまったのである。

現代社会は、不鮮明経済のもとにあり、事業の担い手たちには創発的な相互関係に基づく新しい価値の創造が求められている。

このような関係性に基づく資源獲得プロセスは、方法論的個人主義と市場メカニズムを根拠とする経済学的枠組みでは構築することはできない。」


こういったことから、資本の概念の変化によって、「関係性(ソーシャル)に基づく資源獲得は、従来の理論的枠組で構築できない」と考えました。

2012/01/02

ゴッホがリーダーかどうか

ゴッホがリーダーかどうか。

あるグループでこのような投げかけがありました。

わたしは博士論文で「事を起こす人」は「社会的資産」であるという趣旨のことを書きました。事を起こす人は、(自分にも)他人にも影響を与えるということで、社会活動に価値をもたらすととらえたからです。

この場合の「影響」は、そのまま「行動」への影響もあるし、深く「心」に響く影響もあると考えました。たとえば組織活動のプラットフォームとして、よくいわれる投資家、経営者、管理者、メンバーは、もちろん、顧客やファンも含まれているとしました。しかし、理論的には、「顧客やファンを含む」というところで、「新しい視点だし、現代理論へのチャレンジだ」と言われ、少々びびりました。

直接的・具体的なリーダー行動をうけていないのに、ひそかに「心」で影響をうけた顧客やファンが、その組織に愛着を感じ、自分自身は購入しなくても、「こんなおもしろい組織があるよ」と誰かに伝えたり、どこかに書いたりしたら、十分にリーダーシップを受けたフォロワーだと思ったのです。その結果、その組織のファンはもっと増え、ファン層があつくなればなるほど、購入客も増えやすいと。。。

ゴッホが、どういう意図や目標で作品を創ったかわからないですが、自分一人だけで楽しむために創ったのでなければ、なにか他人への目標があったと思います。たとえば、「ゴッホの世界」を感じてもらいたい。。。これも目標になると思います。

通常のリーダーシップ論においても、「ゴッホの世界」を感じた人がいれば、目標達成、リーダーシップ発揮となります。その上で、「ゴッホの世界」を感じた人たちが、ゴッホの良さを他人に伝えたり、もっとゴッホのことを知ろうとしたり、こういった活動が増えれば、「ゴッホの世界」は大きくなると思います。死んでからもリーダーシップを発揮している(影響を与えている)ことになります。

これは今のソーシャル・リーダーシップに強くつながる考え方だと思います。昔のように、意図したことがそのままフォロワーの行動に伝わることの方が少なく、種をまく程度のリーダーシップで、後はフォロワーが渦を作っていくような。