「ほんとうに持っているもの、授かっているものを出し切って、打ち込んで学びひたり、教えひたっている、優劣を論じあい、気にしあう世界ではない」


自分で自分を不幸にしない

「自分で自分を不幸にしない人」という表現を聞きました。
「幸せになる」という表現よりも、なにかしっくりいくものを感じました。

自分アジェンダ・レベルとして、競争、自由、調和という3つのレベルがあると考えています。

ここでの「競争」は、「個としての自分」が発想の出発点です。「個としての自分」は、自分が目に見える資源をできるだけ多く得ようとすると思うので、自分以外は競争の対象になります。勝ち負けや優劣を意識しなければならないので、休まらないストレスを感じます。競争に集中すればするほど、孤独感やストレスは大きくなるように思います。これを不幸と感じるかどうか。

「自由」は、「他者との関係性にある自分」が発想の出発点です。気持ち、価値観、美意識というような制限のない資源(無形)が対象なので、競争というストレスから自由になります。共有仲間が広がれば自由な気持ちも広がりますが、共有仲間が少ない場合は疎外感を感じます。これを不幸と感じるかどうか。

「調和」は、「感知できない宇宙エネルギーのなかの自分」が発想の出発点です。生まれてきたからには、全体の一部としてやるべきことがあると思います。やるべきことをやれば、全体をめぐって自分に帰ってきます。この繰り返しによって、全体の一部を埋めているという充実感を得られると思います。

充実感の深さは、全体をどのようにとらえるかにかかわります。自分の血統だけ、自分の仲間だけ、地域だけ、自分の○○だけ、というように全体を狭くとらえれば「個としての自分」に近づきます。「個としての自分」に集中すれば、自分以外を競争対象にせざるを得なくなります。

全体を人類、自然環境、地球や宇宙などととらえれば、自分の影響はその全体をめぐりめぐって帰ってきます。自分の影響が確実に足あとを残し、意味をもっていたら、その充実感は大きいものではないでしょうか。

たとえば、自分の身近に影響がなければいいと思って排気ガスをはきっぱなし、ゴミを捨てっぱなしにしていたら、同じような行動をとる人が多ければ、巡り巡って自分が吸う空気や環境が汚れてきます。排気ガスもゴミもちゃんとしようという人々が多ければ、自分の周囲の空気も環境もきれいになっていきます。

このように考えると、「自分で自分を不幸にしない」とは、全体の一部として全体に役立つことを一所懸命やることではないかと感じます。

全体のためにやればやるほど自分が満たされる、自分だけのためにやればやるほど不幸になる、そんな感じがします。


「学びひたり、教えひたろう、優劣のかなたで」

競争は、既存のパイを奪い合う気持ちにさせ、自分の利益に集中する気持ちにさせると思います。意識は、ますます、物量的、限定的な資源に集中するようになります。

調和は、全体に意識を向かわせます。自分の利益だけではなく、他人を見る余裕を与え、全体のパイを大きくしようという気持ちにさせる、と感じます。

競争によって自分をしばるのではなく、全体を感じながら、自分の内なる世界を感じ、可能性を追い求め、広げ、深めていきたい、そんな仲間とともに充実した環境や人生を創っていきたい、リーダーシップ研究大学では、そうしたいと思います。


「優劣のかなたに」 大村はま

優か劣か
そんなことが話題になる、
そんなすきまのないそういう世界。
つきつめた姿。
持てるものを
持たせられたものを
出し切っている
生かし切っている
そんな姿こそ。

優か劣か、
自分はいわゆるできる子なのか
いわゆるできない子なのか、
そんなことを
教師も子どもも
しばし忘れて、
学びひたり
教えひたっている、
そんな世界を
見つめてきた。

教師も子どもも
学びひたり
教えひたっている
それは優劣のかなた。
ほんとうに持っているもの
授かっているものを出し切って、
打ち込んで学びひたり
教えひたっている
優劣を論じあい
気にしあう世界ではない。

今はできるできないを
気にしすぎて、
持っているもの
授かっているものを
出し切れていないのではないか。

成績をつけなければ、
合格者をきめなければ、
それはそうなのだ。
今の日本では
教師も子どもも
力のかぎりやっていないのだ
やらせていないのだ。
優劣のなかで
あえいでいる。

学びひたり
教えひたろう
優劣のかなたで。



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