2013/02/22

自分アジェンダ®のレディネス層


自分アジェンダ®レベル

自分で自分を不幸にしない」で説明したように、競争レベルよりも自由レベルが、自由レベルよりも調和レベルの方が「満たされる」と考えています。

競争レベルでは、「個としての自分」が出発点であり、自分以外は競争の対象、資源を奪い合う競争は孤独やストレスを生むことになると感じます。

自由レベルは、資源の奪い合いがない気持ちや価値観にかかわることなので、競争から自由になれます。しかし、他者との関係性のなかで満たされるものなので、気持ちや価値観が異なると疎外感というストレスが生じます。

「個としての自分」も「他者との関係性にある自分」も、見たり感じたり感知できる世界を前提にしています。そういう「自分」は科学することもコントロールすることも可能だという前提にあると思います。

しかし、調和レベルは、感知できない世界を前提にします。感知できない世界を仮に「宇宙エネルギー」と呼んでいます。自分を超える、感知できない自分もいるというとらえ方です。人間には感知できない、人間を超えるエネルギーがある、人間のコントロールや科学が及ばない宇宙エネルギーがあるというとらえ方です。

感知できない宇宙エネルギーのなかで、自分が感知できるレベルの思い込みのエネルギーを押し出そうとすると無理を感じることもあると思います。宇宙エネルギーが求めるままに精一杯行動する、生きる、あるいはたゆたう、そうすることがもっともストレスがないことであり、宇宙エネルギーに貢献することだと思います。

Copyright©2012 Azusa Ami, Ph.D. University of Leadership Studies


しかし、宇宙エネルギーを見たり感じたりできない場合、どうしたらいいのか。

見たり感じたりできなくても、人間はその場にいます。その場にいて、エネルギーを受けています。瞑想とか、ヒラメキとか、A, haとか、しっくりいくとか、プレゼンシングとか、よく聞きます。これが、宇宙エネルギーが求めることを表していると思います。

自分の内なる世界を、深く深く探るとどこかでしっくりくるものがあると思います。あるいは、意識しなくても、好きでなくても、やりたくなくても、やらなければならないと感じること、使命感を強く感じることもあると思います。頭で考えたり、価値があるからとか気持ちいいからというのではなく、無謀、無理、無駄、と理性で思っても、他人から言われても、なぜかやらなけれならないこと、やればやるほど落ち着くこと、そんなことが宇宙エネルギーの一部である自分のやるべきこととして、かなっていることではないかと思います。


自分アジェンダ®のレディネス層

もし、不足感や不満感を感じているのなら、もしため息が出るようなら、もしストレスを感じているなら、自分アジェンダ®という視点で自分を見なおしてみてもいいかもしれません。自分がとらえている世界は、競争レベルなのか、自由レベルなのか、調和レベルなのか。

そのときそのときの自分にあわせて、しっくりいく自分アジェンダ®を考えることは、そのときの不足感や不満感がどこから来ているのか、出口はないのか、などを考えさせてくれます。自分アジェンダ®レベルが高まれば、行動をおこさずにはいられなくなります。行動を起こせば、明らかにコトはすこしずつであっても改善しますし、行動することによってストレスは和らぎます。

「自分で自分を不幸にしない」人々が増えれば、お互いにプラスのエネルギーを出しあうことになり、社会にプラスのエネルギーが増えると思います。

レディネスの考え方を取り入れることで、リーダーシップやコーチングによって自分アジェンダ®を高めることができます。もちろん、セルフ・リーダーシップでもセルフ・コーチングでも自分アジェンダを高めることができます。



Copyright©2012 Azusa Ami, Ph.D. University of Leadership Studies


2013/02/20

「ほんとうに持っているもの、授かっているものを出し切って、打ち込んで学びひたり、教えひたっている、優劣を論じあい、気にしあう世界ではない」


自分で自分を不幸にしない

「自分で自分を不幸にしない人」という表現を聞きました。
「幸せになる」という表現よりも、なにかしっくりいくものを感じました。

自分アジェンダ・レベルとして、競争、自由、調和という3つのレベルがあると考えています。

ここでの「競争」は、「個としての自分」が発想の出発点です。「個としての自分」は、自分が目に見える資源をできるだけ多く得ようとすると思うので、自分以外は競争の対象になります。勝ち負けや優劣を意識しなければならないので、休まらないストレスを感じます。競争に集中すればするほど、孤独感やストレスは大きくなるように思います。これを不幸と感じるかどうか。

「自由」は、「他者との関係性にある自分」が発想の出発点です。気持ち、価値観、美意識というような制限のない資源(無形)が対象なので、競争というストレスから自由になります。共有仲間が広がれば自由な気持ちも広がりますが、共有仲間が少ない場合は疎外感を感じます。これを不幸と感じるかどうか。

「調和」は、「感知できない宇宙エネルギーのなかの自分」が発想の出発点です。生まれてきたからには、全体の一部としてやるべきことがあると思います。やるべきことをやれば、全体をめぐって自分に帰ってきます。この繰り返しによって、全体の一部を埋めているという充実感を得られると思います。

充実感の深さは、全体をどのようにとらえるかにかかわります。自分の血統だけ、自分の仲間だけ、地域だけ、自分の○○だけ、というように全体を狭くとらえれば「個としての自分」に近づきます。「個としての自分」に集中すれば、自分以外を競争対象にせざるを得なくなります。

全体を人類、自然環境、地球や宇宙などととらえれば、自分の影響はその全体をめぐりめぐって帰ってきます。自分の影響が確実に足あとを残し、意味をもっていたら、その充実感は大きいものではないでしょうか。

たとえば、自分の身近に影響がなければいいと思って排気ガスをはきっぱなし、ゴミを捨てっぱなしにしていたら、同じような行動をとる人が多ければ、巡り巡って自分が吸う空気や環境が汚れてきます。排気ガスもゴミもちゃんとしようという人々が多ければ、自分の周囲の空気も環境もきれいになっていきます。

このように考えると、「自分で自分を不幸にしない」とは、全体の一部として全体に役立つことを一所懸命やることではないかと感じます。

全体のためにやればやるほど自分が満たされる、自分だけのためにやればやるほど不幸になる、そんな感じがします。


「学びひたり、教えひたろう、優劣のかなたで」

競争は、既存のパイを奪い合う気持ちにさせ、自分の利益に集中する気持ちにさせると思います。意識は、ますます、物量的、限定的な資源に集中するようになります。

調和は、全体に意識を向かわせます。自分の利益だけではなく、他人を見る余裕を与え、全体のパイを大きくしようという気持ちにさせる、と感じます。

競争によって自分をしばるのではなく、全体を感じながら、自分の内なる世界を感じ、可能性を追い求め、広げ、深めていきたい、そんな仲間とともに充実した環境や人生を創っていきたい、リーダーシップ研究大学では、そうしたいと思います。


「優劣のかなたに」 大村はま

優か劣か
そんなことが話題になる、
そんなすきまのないそういう世界。
つきつめた姿。
持てるものを
持たせられたものを
出し切っている
生かし切っている
そんな姿こそ。

優か劣か、
自分はいわゆるできる子なのか
いわゆるできない子なのか、
そんなことを
教師も子どもも
しばし忘れて、
学びひたり
教えひたっている、
そんな世界を
見つめてきた。

教師も子どもも
学びひたり
教えひたっている
それは優劣のかなた。
ほんとうに持っているもの
授かっているものを出し切って、
打ち込んで学びひたり
教えひたっている
優劣を論じあい
気にしあう世界ではない。

今はできるできないを
気にしすぎて、
持っているもの
授かっているものを
出し切れていないのではないか。

成績をつけなければ、
合格者をきめなければ、
それはそうなのだ。
今の日本では
教師も子どもも
力のかぎりやっていないのだ
やらせていないのだ。
優劣のなかで
あえいでいる。

学びひたり
教えひたろう
優劣のかなたで。



2013/02/19

評価 vs 課題レディネス診断

「同じようなインプットに対しては、同じようなアウトプットが出るという一貫性」は安心感や納得感をもたらすと思います。日々雑多なことに追われ、社会が複雑になればなるほど、人間関係を雑に扱うようになり、そういった安心感や納得感に配慮する余裕がなくなるような気がします。

信頼関係は、相手が「期待していること」を「期待されているように対応すること」でお互いに納得・安心し、落胆や失望がない状態で養われると思いますが、そう考えるとき、いつも思います。なぜ、状況対応リーダーシップ®はいいのか。複雑に感じる人間関係や信頼関係をシンプルにしてくれ、うまく行動できるようにモデルそのものが教えてくれるからだと思います。

状況対応リーダーシップ®では、インプットを仕事に対する能力・意欲(課題レディネス)、アウトプットを能力・意欲を高めるための「リーダーシップ」ととらえ、下記のように、有効なリーダーシップは課題レディネスによって変わるとされます。

ある仕事に対して・・・
  • 課題レディネス(能力・意欲)が低い場合、ひとつひとつ説明や指示を行う教示的なスタイルが有効
  • 課題レディネスが中程度の場合、指示だけではなく支援も増やす説得的、あるいは参加的なスタイルが有効
  • 課題レディネスが高い場合、指示も支援も減らす委任的なスタイルが有効


相手の課題レディネスにあわないリーダーシップ・スタイルをとることは、相手が「期待している働きかけ」を、自分が行なっていないことを意味します。相手は「期待しているように働きかけてくれない」と感じ、落胆や失望を感じます。このまま同じスタイルをとり続けると、何も成果が生まれないだけではなく、信頼関係が損なわれていきます。

状況対応リーダーシップ®は発表されてから40年以上、世界の仕事の場で使われてきました。多くの場合、部下に対する上司のリーダーシップという枠組みで使われてきましたが、部下の課題レディネスにあわないリーダーシップをとることは、部下を成長させないだけではなく、お互いに避けたくなるような人間関係に陥らせてしまうということがわかっています。
  
よく誤解されるのですが、課題レディネスは「評価」のために行うのではありません。成長目標を考えたり、成長までの経過報告のために「診断」するものです。「できる、できない」という「評価」を下しレッテルを貼ってしまうことは、部下の課題レディネス向上の可能性も、上司のリーダーシップ発揮の可能性も閉じてしまうことになります。

課題レディネスは、今どの程度の成長過程にあって、どのようにすれば成長するのかを考えるための指標です。そして、状況対応リーダーシップ®におけるリーダーシップは、リーダーの一方的なリーダーシップではなく、部下の課題レディネスに連動するリーダーシップであり、部下と上司で同じ指標を共有し、お互いに成長や成果について方策を練るための方法です。

「相手が期待していること」を課題レディネスの行動指標を使って具体的にとらえること、そして課題レディネスに適合するリーダーシップ・スタイルを使って「期待されているように対応すること」、これが状況対応リーダーシップ®の2本柱だと考えています。

人々が活き活きと能力を発揮し、チームや組織や社会が活力を持つためには、「評価」ではなく課題レディネスを診断し、適合するリーダーシップを使って成長の機会をつくりだすことだと思います。お互いに可能性を見出し、期待し期待され、一貫性のあるコミュニケーションを継続することで、納得・安心する信頼関係がもたらされる、そんな人間関係のなかにいたいと思います。


*状況対応リーダーシップ®およびS.L.理論®は、株式会社シーエルエスの登録商標です。

2013/02/14

アジェンダ・レベル-自分アジェンダ®をより存在レベルへ

「アジェンダ・レベル」

なにがもっとも重要かと、いろいろ考えていますが。。。
やっぱり「アジェンダ・レベル」だと感じています。

難しく考えれば、いろいろあるかと思いますが、直感的に考えれば、わたしたちの感覚は、少なくても、行動、意識、価値、存在の段階があるように感じています。

行動は、実際に行動するレベル。
意識は、「頭」で考えて、そうだろうと思うレベル。
価値は、「心」、つまり気持ちで感じるレベル。
存在は、頭でも心でもなく、自分では意識しないところで欲する欲求、使命のようなレベル。

これを「自分アジェンダ®」と呼んでいるわけですが。
「自分」という用語をどのように表現するか、現在、思考中。「自分」というと、物理的な自分だけの欲求に叶うこと、とても自己中心的なこと、と捉えられる可能性があります。

ここで表現したい「自分」は、物理的な「自分ひとり」ではありません。「自分が大事にしたいすべての世界」です。

アジェンダ・レベル

アジェンダ・レベルには、少なくとも、下記の3つのレベルがあると思います。



一つ目は、「現実的」と現代の人々が認める「モノ、目に見える行動や意図」のレベル。目に見える「モノの世界」、つまり物量的に図れるモノです。この場合は、「競争」が可能です。現代のわたしたちは、おそらく、この「競争の世界」で評価されていると思います。


レベル 基軸 制限 内容
調和のレベル 目に見えず、感じることもできないもの、<存在、使命、やらずにはおれないこと> 制限なし 方向性をもたないエネルギー、たゆたう、ほとんど共有、存在の充実
自由のレベル 目に見えないもの、でも感じることができるもの、<気持ち、価値観> 共有できるかできないか、疎外感を感じさせることもある 「気持ち=エネルギー」なのでフリーエネルギー、方向性(価値観)を持つエネルギー、したがって共有できるかできないか、納得感・疎外感あり
競争のレベル 目に見えるもの、<モノ、行動、意図> 物質およびエネルギーの量に制限あり 所有権競争、希少価値競争、気持ちにも優劣をつける、大多数の基準で振り分けが生じる、勝者・敗者の区別あり


二つ目は、眼に見えないかもしれないけれど、多くの人たちが認める「価値観の世界」です。価値観は、共有できる人たちの間では、説明するまでもなく共有できるものですが、共有できない人にはわかってもらえない世界です。でも、共有したら、気持ちという力強いエネルギーが同じ方向に向かう強力なパワーになります。

この世界では、競争ではなく、自分の価値観、自分の仲間の価値観が重要なので、競争というより、「わたしはこの価値観で生きている」という「自由な気持ち」で生きていくことができます。その意味では、共有できる「納得感」、共有できない「疎外感」がはっきりわかれるパワーになると思います。

三つ目は、目にも見えない、感じることもできない世界です。でも、それを実行しなかったら、落ち着かない、やらずにはおれない、やらなかった焦燥感、不安感、不足感を感じるような、そういった感覚です。

「やっていない、だから焦燥感、不安感、不足感を感じる」 というように「やっていない」からすぐに感じるよな直接的な感覚もありますが、それだけではなく、「やらなかった」、その後数年後、あるいは数十年後に無意識に感じるような焦燥感や不安感もあります。

「目に見えない、感じることもできない」、でも、感じることができないけれど、それがわからなかったら落ち着かないような、いらいらするような、不安を感じるような、そんな感じ、自分が生まれてきた存在的な根拠を問いかけるような、そんな感じ・・・

わからなくても、それが奥深いところの「自分」、「自分の内なる世界」だと思います。

それを感じると、競争しなくちゃいけない世界や、自分の価値観を問いかけなければいけない世界、を超えて、競争も自分の主張も超えて、自分が大事にする大きな世界に、そのままいていい世界に落ち着けるのではないかと思います。